Interview:スコット・ミルソム(The Hawkmen/Skinny Lister)
現在はスキニー・リスター(Skinny Lister)のベーシストとして活躍し、ザ・ホークメン(The Hawkmen)という新しいバンドも始めたスコット・ミルソム(Scott Milsom)。実は毎年プライベートでUKから東京に訪れているほどの日本好き。そんなスコットに、今更ながら初めてインタビュー。
インタビュー:Uncleowen
場所:The Cluracan(高円寺アイリッシュパブ )
Uncleowen(以下U):触りだけでもスキニー・リスター、ホークメンと2つもバンド名が出ていますが、スコットは数多くのバンドやプロジェクトで成功してきています。先ずはベーシストとしての経歴を教えて下さい。
Scott(以下S):先ずは最初に、まだ17歳だった頃、コフィン・ネイルズ(Coffin Nails:UKサイコビリーのレジェンドバンドの1つ)に加入したんだ。最初のライブはThe Krewmenのサポートでベルギーでの公演で、それが凄く大きな会場だったんだ。その後すぐにライブアルバムをレコーディングしたよ(『LIVE AND ROCKIN’』Link Records発売のライブ盤シリーズ。他にもDemented Are Go、Polecats、King Kurt、Frantic Flintstones等が同レーベルより同名のライブ盤をリリースしていた名物企画)。同じ89年にはバンドとして4枚目となるフルアルバム『Who’s He?』(Nervous Records発売。今作は世界的にも売れ、今までよりも大規模なヨーロッパツアーの開催や、各国フェスでのヘッドライナーとしての出演等、バンドにとっても大きなターニングポイントとなる作品となった)のレコーディングにも突入したんだ。
その後も、4枚のアルバムを僕が運営しているレーベルGreystone Records(コフィン・ネイルズの作品をリリースする為にスタートしたレーベルで、コフィン・ネイルズの他にもスコットが関係しているバンド、ユニットから、The Surf Ratsのニューアルバム等サイコビリー仲間のリリースも行うレーベル。勿論、ホークメンの作品も多くリリースしている)から発売しているよ。最新作は「The Dead Don’t Get Older」(09年リリース)で、今までにUKを拠点に、ドイツ、フランスから北欧までヨーロッパを中心に多くのツアーを行ってきたし、USツアーも5、6回やってきているよ。
コフィン・ネイルズと合わせて、日本ではザ・ロッカー・カバーズ(The Rocker Covers)での活動も知られているんじゃないかな?ロッカー・カバーズはコフィン・ネイルズとは別に、楽しみの為、むしろ路上でバスキングする為に10年に結成したバンドなんだ。
U:ロッカー・カバーズとは、最近のヒット曲をトリオ編成のオーセンティックなロカビリーでカバーする、バンド名がそのままなコンセプトのバンドですね。このバンドもスコットがやっていたとは、言われるまで知りませんでした。グリーン・デイからマライア・キャリーまで、誰もが知るロック~ポップスの名曲を分かり易く、かつお洒落なロカビリーに仕立て上げていましたね。日本では輸入CD店のみならず、ヴィレッジヴァンガード等の輸入雑貨屋でもスマッシュヒットしました。今までに『Revved Up』、『New Old Stock』と2枚のアルバムをリリースしていますね。言われてみれば音もスコットそのものだし、むしろ写真見ればスコットってすぐ分かったんですが、、コンセプトが意外過ぎて全く結びつきませんでした。。
S:日本のディストリビューターから大量にオーダーを貰って、出荷に大忙しだった思い出があるよ笑。その2枚のアルバムはどちらも僕のスタジオで録音したんだ。ヴィンテージ機材をいくつか使って、全ての音を古いテープマシンを使って録音したんだ。これらの作品ももちろん僕のレーベル、Greystone Recordsから発売したよ。
U:他にもネオロカバンドのThe ROCK-IT DOGS!、モッズ~ノーザンソウル・バンドのBig Boss Man、約10年振りにニューアルバムをリリースしたUKサイコビリー界のレジェンドTHE SURF RATSのプロデュース等、本当に多くのバンドのメンバーやプロデューサーとして活躍していて、何処を切り取れば良いのか迷ってしまうのですが、、それだけでインタビューが終わってしまいそうなので、ここではホークメンに関して聞かせて下さい(スキニー・リスターに関してはこのインタビューで後ほどに、、)。多忙なバンド生活の中、このホークメンはどのようにして結成したのですか?
S:このバンドは最初はザ・ホーク(The Hawk)というソロ名義で、自分が影響を受けてきたノーザンソウル・スタイル曲を作る為に始めたスタジオ・プロジェクトだったんだ。ノーザンソウルの音の感じも好きだし、作曲するのも大好きだったからね。色々と曲を書いていくうちにイタリアのレーベル(Record Kicks:ミラノに本拠を置くインディペンデントレーベルで、ノーザンソウル、ディープ・ファンク、アフロビート等、ヴィンテージ・ブラック・サウンドから、最新のダンスフロアに向けたジャズの両方を専門としている)からザ・ホーク・フィーチャリング・リトル・ハンナ・コリンズ(The Hawk feat. Little Hannah Collins)名義で最初のシングルを出すことが決まったんだ。そしてすぐに次のシングルのリリースが、ドイツのレーベルから決まったよ。その頃かな?とんでもなくイカしたシンガーに出会ったんだ。それが今のボーカル、スカーレット(Vo)だよ。彼女と何曲かレコーディングをして決めたよ。僕たちでライブ・バンドを結成しないといけないってね。
ドラムのティム(Dr, Vo)は僕たちと同じミックス・スタジオを使っていたんだ。そこでエンジニアに紹介されて出会ったよ。これがバンドの結成だね。そこに実力も見た目もスーパークールなギタリストのベン(Gt)、そしてスキニー・リスターでバンドメンバーの兄弟でこのホークメンでは鍵盤を担当するマックスウェル・トーマス(Pf)でメンバーが揃ったよ。
U:ここでやっとスキニー・リスターの名前も登場しましたね。待ってました!一応ここで紹介しますがスキニー・リスターとは、、、09年結成のUKフォークパンク・バンドで、Uncleowenよりデビューアルバム『フォルジ・アンド・フラゴン』と2nd『ダウン・オン・デプトフォード・ブロードウェイ』の2枚のアルバムをリリースしている。
フジロックフェスティバル’13で初来日し、翌年14年には朝霧JAMにもメインステージに出演し、単独でのジャパンツアーも成功させた。16年に3rdアルバム『ザ・デビル・ザ・ハート・アンド・ザ・ファイト』をリリースし、、
S:17年にサポートのベーシストとしてスキニー・リスターに誘われたんだ。そしてすぐにドロップキック・マーフィーズ(Dropkick Murphys)とのツアーに突入して、、ベーシストの脱退もあって、そのままバンドから正式に加入の誘いを受けたよ。
U:以前のベーシストはマイケルですね。2度の来日時のメンバーは彼でした。懐かしいなあ。当時、共通の日本の友人を通して、バンドよりもニュースサイトよりも先にスコットのスキニー・リスター加入の情報を聞いたので驚きましたよ。その共通の友人がこのインタビューをしているアイリッシュパブ、The CluracanのオーナーでThe Wild Rover主催のヒデトさんなんですけどね笑
話をホークメンに戻します。バンド編成になったことによって、ノーザンソウルを軸にしながらも、よりロカビリー寄りな、ライブバンドとしての熱さも伝わる、本当に良いサウンドですね。ソウルフルでパワフル、かつ妖艶な憂いも兼ね備えたヴォーカル、スカーレットの存在感も凄いですね。ヴィンテージな音の響きも、勿論スコットのスラップの心地よさも、、とにかく凄いバンドが出てきたな!と思いました。メンバーそれぞれ色々な音楽から影響を受けてきたのではないでしょうか?
S:そうだね。先ずドラムのティムはロックンロールにとにかく入れ込んできたし、ソウルの知識も凄いんだ。モータウンとか、ラテン音楽とか、、とにかく僕にも分からないほど、彼の音楽知識は広大なんだ。スカーレットはお母さんの影響で小さい頃からノーザンソウルを聞いて育ったんだ。だから彼女のノーザンソウルの知識も凄いよ。他にもレゲエが好きだし、エイミー・ワインハウス(Amy Winehouse)の大ファンでもあるんだ。ベンの古いロカビリー、ポップパンクに対する知識も凄いよ。僕は古いリズム&ブルース、サイコビリー、ロカビリー、ノーザンソウル、パンク、スカと、それは勿論だけどみんなそれぞれで影響を受けてきた音楽は広いよ。
U:デビューアルバム『The Hawkmen』も19年にGreystone Recordsからリリースとなりましたね。今までのシングルもそれぞれ良かったのですが、その集大成のような作品で最高でした!今作の紹介をお願いします。
S:古いリズム&ブルース、ロカビリー、ノーザンソウル、カントリーにポップスと今作も多くの音楽からの影響の元に完成させることが出来たよ。オリジナル曲を中心に、ソウルからR&Rまで数曲のカバーも収録したんだ。ジャケの写真はあのブライトンビーチのものなんだ!モッズとロッカーズが抗争を起こし、今ではどちらにとっても聖地として知られる”あの”ブライトンビーチだよ。”I Can Tell”のビデオもここで撮影したんだ(先行7”シングル『SOULFUL DRESS』のB面にも収録されたボ・ディドリーのカバー曲)。
U:そうだったんですね!19年には日本でも「さらば青春の光」のデジタルリマスター版の公開があったりで、モッズはまた注目が集まっているジャンルですよ。アルバム発売後にはすぐまた新しい7”のリリースもありましたね。それもタイトルが「Night Out In Tokyo」でアートワークやビデオまで、おそらくスコットが日本で撮りためたであろうイメージも多くフィーチャーされています。何故、東京での夜を舞台にした楽曲を制作したのですか?
S:東京のカルチャーや、暮らしている人々が大好きなんだ。日本人は異文化の人々も快く受け入れてくれるし、一緒に楽しめるからね。日本に何度も来ている経験から、ずっとこれは曲にしないとと思っていたんだ。
U:もう相当な数、日本に来ていますよね?最初に訪れたのはいつだったんですか?
S:15年前だね。それからもう7〜8回は訪れていると思うよ。基本は東京に滞在して、京都、広島、大阪、名古屋と色々旅をして来たんだ。明日ここ(The Cluracan)でReikoさん達とホークメンのビデオも撮影するんだ。
U:BRACES SOUL CLUBですね、ノーザンソウルの!絶対に最高じゃないですか。完成を楽しみにしていますね。
※その後、完成した映像がこちら!
U:ホークメンを日本のスキニー・リスター・ファンに紹介するとしたらどう伝えますか?
S:音楽性は違うけど、UKでも多くの日本のスキニー・リスター・ファンのみんながホークメンのショウを観に来てくれているし、みんなこのホークメンの音楽も楽しんでくれているよ。スキニー・リスターと同じく、僕たちの曲にも一貫したメッセージ性やストーリー性を与えて書いているからね。
U:フォーク・パンクという大きなくくりで言ってしまえば、僕はどちらも同じ音楽性だと思っています。ヴィンテージな音作り、力強い女性から放たれるメッセージ、パンクな姿勢も共通項だと思いますよ。きっとみんな気に入ってくれることと思っています。ホークメンの今後の予定を教えて下さい。
S:3月にまた新しいEPをリリースする予定なんだ。そして2ndアルバムの準備にも取り掛かる予定だよ。UKでは新たに新しいブッキングエージェントとの契約も決まったし(Uncleowenで言うとドイツのMr.Irish Bastardも同じエージェント所属なのでびっくりしました)、今年は更に多くのツアーやフェスへの出演が続くと思うよ。勿論、日本でのツアーも実現出来たら本当に嬉しく思っているよ!
U:ありがとうございました!Uncleowen’s Deli ROCKIN’ OWLにて、ホークメンの新譜「NIGHT OUT IN TOKYO / BABY TONIGHT」をはじめとする7”を3種類発売中。全商品に先着でホークメンのステッカーも付けています。リンクは下記に並べます。
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